中央区・宝田恵比寿神社

べったら市で有名な宝田恵比寿神社

東京の風物詩の一つ、べったら市、これは商売繁盛を願う商家には欠かせない行事として知られています。
このべったら市が行われているのが宝田恵比寿神社です。
創建年代はわかっていませんが、徳川家康公入府以前、宝田村の鎮守杜であったとされているので、それ以前の創建という事でしょう。

徳川家康が入府し、江戸城が拡張という事になり、村の移転を余儀なくされ、宝田恵比寿神社は現代の伝馬町へ邊座します
当時このあたりは金銀為替、また水陸の要所となっていたので、大変にぎわっていたといいます。

御神体は恵比須神、これは運慶作と呼ばれ、徳川家康から賜ったものと伝えられています。
この恵比須神が鎮座しているという事で、日本橋七福神の恵比寿様としても、近隣住民の方々から親しまれているのです。
この宝田恵比寿神社は商売繁盛を願う商家にとって欠かせない行事となっているべったら市が行われる場所としても知られています。

宝田恵比寿神社の由来

慶長11年、江戸城外宝田村の鎮守様として近隣の信仰の源となっていました。
徳川家康が入府したことによって、宝田、祝田、千代田という三つの村に転居が命じられ、馬込勘解由が宝田村の鎮守様を奉安申し上げ、近隣住民を引率しこの地に集団で移動したと伝えられています。

この馬込という人は、家康公が入府する際、三河の国から随行してきた方です。
数々の偉業を成し遂げ、徳川家康公繁栄ご祈念の際、恵比須さまを頂戴し、平穏守護のための御神体として宝田恵比寿神社に法案され、現在に至ります。

村人は金銀為替や水陸運輸などに関わり、非常に重要な役割を持っていたといいます。
当時、は大伝馬町という名を賜り、伊勢、駿河、遠江、美濃、尾張と家康公と縁の深い人を集め、物資を集める場所となりこの時代の発展に大いに役立ったのです。

現在もこのあたりは、老舗の商社などが立ち並び、繁盛していますし、取引も盛んです。
これはその昔から面々と継続しているものです。
このあたりの人たちは宝田恵比寿神社の御功徳によるものと崇め、現在も、信仰厚く祈願を続けているのです。

宝田恵比寿神社の恵比寿様

宝田村の鎮守はもともと皇居前にあったものです。
祭壇の中央には恵比須神像があります。
これは徳川家康からいただいたもので、著名な運慶作とも、左甚五郎作とも伝えられます。

宝田恵比寿神社では、1月20日、初恵比須が行われ、10月の19日、20日には商売繁盛を祈る恵比須講という行事が行われています。
恵比須様の功徳を受けて、商売繁盛が継続しているこのあたりの方々は、こうした行事を大切にされています。
べったら市といわれる商売繁盛のお祭りは盛大に行われ、このあたりに暮らす商人にとって大切な行事なのです。