中央区・水天宮

安産信仰がある水天宮

日本橋、人形町にある水天宮は、水天宮通りと新大橋通りの近くにあります。
この水天宮は有馬家下屋敷があった日本橋に遷座され、地域の方々に水天宮として親しまれてきました。

元々有馬家は筑後国久留米、つまり現在の福岡県久留米市にあたる地域の、代々の当主でした。
ちなみに、競馬の有馬記念の有馬とは、この有馬家が由来となっています。

1818年、三田赤羽の有馬家上屋敷に、領地であった久留米の水天宮の分社として創立しました。
この当時、この水天宮の鈴を鳴らす紐を腹帯にして安産祈願を行ったところ、しっかりとその願いがかない母子ともに健康でお産を終わらせることができたとし、このことが広く周囲に広まり、この御利益にあずかろうと水天宮に多くの妊婦がお参りに来たといいます。
この事で、現在この水天宮は安産の御祈願に来る人が多くなったのです。

河童が祀られている水天宮

境内は階段を上がり2階にあります。
屋根が美しい曲線を持っているこの社殿は、昭和42年に権現造という建築方式で建立され、拝殿、祝詞殿などがあります。
この水天宮の境内には、かわいい子宝犬と火風神社、安産子育ての河童、さらに和船や碇などがお祀りされています。

水天宮の由来

有馬家が久留米の水天宮の分社として建立した水天宮は、文政元年に建立されたといわれています。
久留米の水天宮は今から700年ほど前に創建されています。

壇ノ浦の戦いで敗れた平家の女官が、源氏の目を逃れ久留米に落ちのびました。
女官は一門と共に入水をされた安徳天皇や二位の尼、建礼門院の霊を少しでも鎮めようとそこにささやかな祠を建てました。
そこでお祀りしたことが、この久留米の水天宮の始まりといわれています。

江戸時代、庶民は参拝などすることが許されておらず、門の外から賽銭を投げるだけしかできませんでした。
しかし毎月5日の縁日は、殿様が特別に藩邸を開放してくれ、参拝を許してくれたため、当時多くの庶民がやってきたといいます。
この当時、この5日に参拝に来た妊婦が、鈴を鳴らすためのひものお下がりを頂戴し、それを腹帯にまいて安産祈願したところ、大変な安産でした。

当時はもちろんお産をする病院などなく、お産婆さん頼りだったので、お産が長引き赤子が亡くなることもありましたし、母親が亡くなることも多かったのです。
安産で子を産むという事は大変なことで、その祈願がかなったという事は非常にうれしき出来事だったのです。

この事が人づてに広く伝わり、水天宮のお参りする方が多くなりました。
この当時、水天宮の霊験あらたかなことを「なさけありまの水天宮」としゃれ言葉で表していたというほどです。

明治維新で藩邸没収となり、有馬邸は青山に移ります。
明治5年には現在の蛎殻町に御鎮座されたのです。
関東大震災によって神社は被災し、周辺も大変な被害にあいましたが、新大橋に御神体を持って非難し、難を逃れ、昭和5年に社殿が完成し、後、昭和42年、現在の権現造の社殿となったのです。